竹富島を楽しむならグラスボートの南西観光(竹富島)

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竹富島について

竹富島のマップ竹富島のマップ

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美崎御嶽
(ミシャシオン)

ミシャシオンには、海の神様が祀られている。島には六山(主のオン)を初めおよそ20を数える御嶽(沖縄本島ではウタキと呼ぶが、島ではオンと呼ぶ)がある。故岡本太郎氏は、『沖縄文化論』「何もないこと」の眩暈の章で、「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない—といっても差支えない、御嶽だった。」と書いている。南西観光は創立以来毎月清掃を続け、海の安全航海を祈願している。奥に親泊御嶽(ウヤドウマリオン)があるので忘れずに手を合わせられることがお勧め。

ビジターセンター竹富島ゆがふ館

2004(平成16)年6月24日に開館した西表国立公園の環境省ビジターセンター。島内をフィールドミュージアムと見立てたインフォメーション施設。展示構成を決める際、島民が環境省に申し出て計画に参画、登録文化財を持つ貴宝院蒐集館をサテライトミュージアムとし、実物展示を避けた展示構成とした。まちなみ館の資料室と合わせてご覧ください。
お問い合わせは、0980—85—2488
HP http://taketomijia.jpまで。

貴宝院蒐集館

上勢頭家の長男・亨が開設した浄土真宗日本最南端の寺と島人に協力してもらいながらこつこつと集めた生活用具を展示する蒐集館とからなる。1957(昭和32)年に島を訪れた外村吉之助氏らに見せたところ絶賛され、助言や援助を受けながらトーラを改造して開館、69年に現在の形とした。第二次世界大戦で戦場となり焦土と化してしまった沖縄では、収集品(内842点が登録有形民俗文化財)は歴史資料として貴重な物となっている。
お問い合わせは、0980−85−2202
HP http://www004.upp.so-net.ne.jpまで。

民宿泉屋

島最初の民宿。上勢頭家の五男・昇が、民俗学の研究者たちの宿泊所が欲しいと長男に頼まれて始めた。現在は妻の達子おばあと孫が笑顔で迎えてくれる。唄と三線が上手で泡盛を飲みながら客との交流を楽しんでいた昇を慕い、常連客が今も通う。昇は病弱であった兄を助け、復帰前より島の土地を守る運動の先頭に立ち、その後は竹富町の教育委員長となり、町職員であった島仲信良氏とともに『竹富島憲章(1987年)』原案作成に奔走した。
予約・お問い合わせは、0980—85—2250まで。

西塘御嶽

琉球王府に認められた最初の竹富島人。首里の園比屋武御嶽を建立し、1524年に竹富大首里大屋子(頭職)を授けられ、八重山最初の行政官となり島に蔵元を作った。島に伝わる『しきた盆』の中に、「発祥の地である歴史を自覚し、何事も協力一致の精神で時代の波を切り開いておくれ」とあり、うつぐみ精神の原点とされる。島民の正月の参拝場所、また駅伝大会の前など団結を誓い参詣する。

旧与那国家住宅

1913(大正2)年に建てられた主屋とトーラ(炊事場)から成る現存する最古の赤瓦建築物。2003年から国、県、町の補助金で主要施設を修復、島独自のNPOであるたきどうん(竹富島の意味)が庭と豚小屋及び来客用公衆トイレの整備を行い、石垣積みは島民総出で完成させた。その甲斐あって、07年竹富町で初めての国指定重要文化財となった。
NPOたきどうんへのお問い合わせは、HP http://www.takidhun.orgまで。

西桟橋

NHKのドラマ『つるかめ助産院』で毎朝ラジオ体操が行われた桟橋(登録文化財)。実は朝よりも夕日のスポットとして有名。島で宿泊し桟橋に寝転び夜空を眺めると、「星降る夜」を体験できる。昭和30年代まで、サバニ(帆付きの刳り舟)に乗り、由布島で寝泊まりしながら西表島で米作りをするためにここから出発した。

コンドイ浜

竹富町指定の遊泳ビーチ。白い砂浜とエメラルドグリーンの海と真っ青な空と白い雲、まるで映画のワンシーンから抜け出てきたような美しい風景が広がる。遠浅のため、干潮時に本格的に泳ぐことは諦めた方がいいかもしれないが、八重山の中でも一見の価値がある場所。波打ち際を少し北に歩くと、ニライカナイの神が降り立ったニーラン神石(カントイ)が鎮座する。

カイジ浜

手で掬った砂の中から、星のような形をした砂を見つけてください。竹富島の星砂伝説。ちょっと悲しい話ではあるが、最後に母星のそばで光っているのが星砂となった子星である。(詳しくは法政大学出版、『竹富島誌』で)岡部伊都子先生の「こぼし文庫」の名前の由来でもある。

星のや竹富

沖縄で初めての星野リゾートの最上級旅館。2006年の竹富島危機の時、南西観光・上勢頭保と星野佳路氏・究道氏が出会い、「南星観光」として共同開発をスタート。六山の神々に守られ、竹富島は復帰から2度の土地問題を乗り越えた。故岡本太郎が見た当時の石垣の高さなど集落景観を再現、公民館とも協定を結び、持続可能な観光で島との共存共栄を目指す新しいタイプの高質リゾート。尚、リゾート内入場は宿泊者のみのため、視察・見学は受け付けておりませんのでご注意ください。
宿泊予約は、HP http://hoshinoyataketomijima.comへ

種子取祭

種子取祭

1977(昭和52)年、国の重要無形文化財に指定された。72年5月15日パスポートがいらなくなり、荷台に椅子をくくりつけた3台のトラックに観光客が乗った。あれから41年、みいはいゆう(ありがとう)。

集落景観

集落景観

1987(昭和62)年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。島固有のサイズの赤瓦、屋根の勾配、ひんぷん、石垣、白砂の道等々。町並み調整委員会として島民自身が独自の監視体制を持っている。

まちなみ館

まちなみ館

100年建築をめざし2000年竣工。1963年「竹富部落会」から『竹富公民館』に。2001年には地縁団体法人となり、年間22ある祭事行事を執り行うだけでなく、法的にも資産管理も出来る共同体の中心組織となった。